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大阪高等裁判所 昭和26年(う)512号 判決 1951年6月22日

控訴人 被告人 前川義雄

弁護人 豊川忠進

検察官 折田信長関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴理由は末尾添付の控訴趣意書の通りである。

一について。

被告人は原判決はその判示第一事実において被告人が療養補償費合計金九十一万四千九百五十円を騙取した事実を認めたが、右金額中には正当の療養補償費と虚偽の療養補償費を包含しているのであるから右正当療養補償費まで騙取の対象とした原判決は誤認であると主張する。

よつて原判決を調査するに、原判決は被告人が労働者災害補償保険法に基く療養補償費を請求するに際し、正当の治療費五十万八百三十円に虚偽の治療費四十一万四千百二十円を増額した虚偽の領収書を係員に交付して、右請求額全部について詐欺の意思を以つて仮払を受けた旨認定しているのである。而して原判決挙示の証拠によれば右正当療養費は受領後被告人より大野病院へ入金され、被告人は右虚偽の療養費だけを領得した事実が明らかである。刑法第二百四十六条第一項に規定する詐欺罪は、何等正当な法律上の原因がないのに拘らず、欺罔手段を用いて人を錯誤に陥れ、以つて不法に財産の交付を受けるに因て成立するものであるから、法律上他人から財物の交付を受ける正当の権利を有する者が、其の権利を実行するに当つて欺罔手段を用いて義務を履行せしめ財物の交付を受けても詐欺罪の成立するいわれはない。従つて他人より財物の交付を受ける正当な権利を有する者が、之を実行するに当つて其の範囲を超え、義務者をして正数以外の財物を交付せしめた場合においても同様の精神に従い解釈しなければならない。この場合詐欺罪は犯人の領得した財産の全部につき成立するのではなくして、犯人が正当な権利の範囲外において領得した財産についてのみ成立するものと解しなければならない。何となればこの場合においては、犯人の領得した財物の中其の権利に属する部分は正当な法律上の原因があつて給付せられたものであるから、この部分については給付行為は弁済として有効に成立し、犯人の行使した権利は之に因つて消滅するから、何等不当の利得はないのである。従つてたとえ欺罔手段を用いて権利の目的を達したとしても、詐欺罪を構成するいわれがない。ただ犯人が其の権利の範囲外において領得した部分は、すなわち欺罔に因つて不当に利得したものであるから、詐欺罪の成立を認めるのが正当である。

本件は、被告人が日本通運株式会社湊町支店厚生係員として労働者災害補償保険法に基く療養補償費請求の事務を担当していたところ、その請求に当つて右正当療養費を擅に増額した虚偽の領収書を作成し同支店係員を欺罔して右正当療養費の外に右増額した虚偽の療養費を交付せしめたのである。而して右正当療養費は大野病院に入金され、本件給付行為は弁済として有効に成立しているのである。この部分について詐欺罪の成立するいわれなく、本罪は右増額された虚偽の療養費の部分についてのみ成立するものと言わねばならない。然るに原判決が本件受領金額の全部について詐欺罪の成立を認めたのは失当である。原判決は破棄を免れない。なお量刑不当の主張については当審で自判する。

よつて当審において直ちに判決するを相当と認め刑事訴訟法第三百九十七条第四百条但書を適用して次の通り判決する。

原判決挙示の証拠によつて原判示第一事実については左の通り訂正して之を認める。

第一、昭和二十三年一月二十一日頃から昭和二十四年二月一日頃までの間、大阪市浪速区湊町十六番地の日本通運株式会社湊町支店で、起訴状添付の第一表乃至第四表記載の通り労務者滝住武光等が、業務上の負傷疾病を大野病院で治療を受けたことに関し、労務者災害補償保險法に基く療養補償費を請求するにあたつて、真実の治療費を擅に右各表最下欄(水増金額)記載の如く増額した虚偽の領収書を恰も真正なものの如く装い支店係員に示し係員をして正当な療養補償費であると誤信させて、その頃同支店係員から合計四十一万四千百二十円を療養補償費仮払名下に受領して之を騙取し

右訂正の外原判示事実は全て原判決拠示の証拠によつて之を認め、以上の各事実に原判決摘示の法条を適用して被告人を主文の刑に処し、訴訟費用の負担については刑事訴訟法第百八十一条第一項を適用する。

(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 松本圭三 判事 網田覚一)

被告人の控訴趣意

一、原判決は第一項で被告人は起訴状一乃至四の通り滝住武夫等が治療を受けたことに関して増額した虚偽の領収書を作つて九十一万円を騙取したと認定してある、そうすると右の九十一万円の中には正当な治療費と増額された治療費名目の金の二種あることになるから被告人の騙取した金は増額した分丈けに限らねばならぬが原判決にはこの区別をせずに金額を騙取したことに認定あることは事実の誤認であつて従つて刑の量定にも重大の影響を及ぼすものと思ふ。

二、被告人は十余年前から花柳菊秀の弟子になつて日本舞踊を学んで今は日本舞踊の師匠をして居る。右の関係で一度会に出ると十万円もかゝるし名取になるには更に多額の金が要るので被告人の月給では補つて行くことが出来なかつた。右騙取又は横領した金は全部生活費と前述の余分の費用に費ひ込んで仕舞つたのである。いまだ弁償もせないのであるが然し前科もない被告人に懲役二年の実刑を科されたことは著るしく刑の量定重きにすぎると思ふ。之は原判決の全項を通して正当なる金額と詐欺横領した金額とを区別せずに金額を騙取横領したものと誤認したことに起因するものと信ずるから茲に適当な御判決を仰かんとするものである。

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